私は、小学6年生の初めに茶理庵に入塾しました。
それまでは、有名な大きな塾に通っていたのですが、算数や理科がどうしてもわからなくて、毎日、授業が終わって帰宅してから父に教えてもらう日々でした。でも、それでは、だんだんと「間に合わなくなって」きて、心機一転、茶理庵に入塾しました。
入塾して初めてチャーリーから出された課題は、「春たけなわ」という変な名前のついたプリント集でした。もらった当初は「やる気まんまん」でしたが、他にもいろいろやることがあって、しかも まだ茶理庵のペースに慣れない私にとって、初めて感じた「山」でした。全然、進まなくて、チャーリーに怒られて、超特急でやったのをよく憶えています。
結局、その時の「チェックテスト」は合格できなかったけれど、「○△算」という特殊算がかなり解けるようになったように思えます。
そして5月。
本当に、大きな大きな課題が出されました。それは“ピンク”とみんなに呼ばれていた問題集です。それも私は「春たけなわ」に続けて、私の力ではどうすることもできずに放置してしまいました。そこで、またもやチャーリーに叱られ、やっと渋々やり始めたのは8月頃でした。でも私は、そこからものすごいペースでやりました。
後で、このときに、きちんとやっておいて良かったな、としみじみ思いました。本番の入試問題にも、やった問題がいくつも出たんですよ!(ちなみに、私はこのテキストを入試の算数の直前まで見ていました。)とても、安心できました。他にも、私の大好きな「相似形」がたくさん載っている「G7」や、理科の“ピンク”も、本当にやっておいて良かったと思いました。
今まで大キライだった理科は、合不合判定テストで偏差値「60」近くとれるようになって、私にとって「一番スキな教科」になりました。理科を教えてくれたテツジンは、「キライ」を「スキ」に変えてしまう“達人”だと思います。
テツジンは、授業の中でたくさん笑わせてくれます。テツジンの授業で、「授業が早く終わらないかな~」なんて思ったことは、一度もありません。いつも気がつくと、「あれ?もうこんな時間!!」となっているのでした。
チャーリーの授業は、“おもしろい”と言うより、「ウケる~♪」という感じです。最後の方でチャーリーが、自分のことを「神の使い」とふざけていたのを憶えています。そんな姿を見ていると、母や父(やチャーリー本人)に怒られた後でも、自然と明るい気持ちになれました。これから毎日、あの元気な二人の顔が見られなくなるのかと思うと、少しさみしくなります。
私は、2月1日の第一志望校、頌栄女子学院が不合格でした。。
2日の午前のS中学の結果も不合格で、2日の夜はさすがに心が折れそうでした。けれど、3日の普連土学園の合格を知って、だいぶ心が楽になりました。
そして4日は、テツジンに算数と理科の“予想問題(5日の頌栄 対策)”を出してもらい、教室で自習していました。そこへ、男子が一人入ってきました。「合格しました!」とその子が言ったのを、私は背中で聞いていました。茶理庵では、普段、男子も女子もみんな和気あいあいとしていて、仲も良かったのですが、その時、私は振り向くことができませんでした。
「おめでとう!」と声をかけることもできなかった。。私は…悔しかった。私も言いたい。早くチャーリーやテツジンに言いたい。その日、その後、家に帰ってからも、テツからもらった「予想問題」を2~3時間ぐらい解いていました。
“あの時”が、たぶん今までの人生の中で一番 悔しく歯がゆい瞬間だったと思っています。
そしてそして2月5日。私の第一志望校、頌栄女子学院の2回目の入試でした。
朝、学校に行くと、校門の近くにチャーリーとテツジンの2人が そろって待っていてくれました。2人と握手して、学校に入りました。入試が終わってからは、母とおしゃべりしながら家路につきました。
そしていよいよ発表の2月6日。
私は、発表を見に行ってくれた母に電話をしました。
「どうだった?」
母は(わざと)暗い声を出しながら「どっちだと思う?」と言って、一瞬 間が空きました。
私は、ドキッとしましたが、「おめでとう!」と母の声が聞こえてきて、喜びが爆発、噴火しました。飛び叫ぶ私に弟が心配して「どうしたの?」と聞いてきました。「合格だって!!」と言ったとき、実感がわいてきました。弟も喜んでくれました。
最後に、最後の最後まで、私と共にハラハラして、喜んでくれたチャーリー、テツジンに、ありがとう!これからもたくさん遊びに行きます!