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30年前の生徒

突然のメールで失礼いたします。

ご記憶にないかもしれませんが、東中野SC、学習指導会でお世話になりましたY・Mと申します。​

ひょんなことから​このHPを発見し、なつかしさ半分、そして、先生の信念に感動し、メールをお送りしてみた次第です。


思えば、私が小学4年生、スイミングクラブで選手をやっていた頃に、新しいコーチの大西先生と初めてお会いし、それから約30年、私もすっかりオバサンになりました(おそろしい…)。​その1年後、今度は塾の合宿で先生と再会した私は、云わば「チャーリーの最初の教え子」ということになるのですよね。

その記念すべき「1st Chaldren(←チャルドレン)」の中でも、塾以前からの教え子である私は、先生との間に妙なご縁を勝手に感じていました。そのせいか、休み時間にはよくチャーリーの後をくっついて回っていたように記憶しています。


さて、私は日ごろ、小中学生と接する機会がほとんどなく、受験や教育からはすっかり縁遠い毎日ですが、それらについてのテレビや新聞等の報道を目にするにつけ、巨大化するマーケットと商業的な匂いに、ただただ驚くばかりです。​そんな中、先生のブログにある「自分が『行きたい学校の合格』をいただいたら、入試は終わるように と言ってきました。」という一文を読み、教育者としてのチャーリー先生の真意を垣間見た思いです。​


「なぜ?…何校合格しても、入学できるのは一校だけだからです。」

「塾は違っても、合格を祈る母親の想いは同じです。塾は違っても、不合格に落胆するわが子を抱きしめる父親の想いは同じです。」

「『全部受かったよ!』の勲章とは違った意味で、『まだ決まっていない子のために、席を空けてあげる』ことも、称えられるべき立派な振る舞いだ と教えていきたいのです。」

「ましてや、『塾の実績稼ぎ』のためになど、『受けていただき』たくありません。」

…読みながら、30年前の自分やこれから中学受験に向かう従妹の子が重なり、感動し、不覚にも泣いてしまいました。​


思い起こせば、学習指導会時代から、先生は、とても人間的な潤いのある豊かなコトバで、私たちに話しかけてくれた覚えがあります。​先生は、あの頃から知識をやみくもに詰め込むだけの、合格者の数字を上げるだけの“サラリーマン塾講師”ではなかった。


私は、学習指導会で、チャーリー以外にも何人かの先生から授業を受けていましたが、その当時もチャーリーは他の先生とはどこか雰囲気も違い、存在が際立っていたように感じます。​


卒業してからも何度か先生に会いに、

K・N(建築士になっています!)や、

M・Y(研究者になっています!)、

H・Y(お医者様になっています!)、

N・R(ミス日本グランプリを受賞したんですよ!)らと一緒に代々木本部へ遊びに行ったんですよっ!確か、先生は関西へ転勤なさった後で、結局、一度もお会いすることはできませんでしたけれど…。​


先生のように信念を貫こうとすれば、いろいろと何かにつけて、批難されることもあるかと思います。

でも、今の私のようなまったくその世界に不案内な者から見ても、先生の塾はきっととてもあたたかく よい塾なんだろうなと感じます。


「受験」という「体験」を通して、さまざまなことを学べる塾の先生。

そんなチャーリー先生が、現代の社会に流布している一般的な中学受験のイメージとは全く異なる切り口で「受験本」を出版したら、とても面白いものになるだろうなぁと思います。

チャーリー、がんばってください!負けないでくださいね!!


最後になりましたが、当時は出来が悪く不真面目だった私は、先生に数々のご迷惑、ご苦労をおかけしたことと思います。本当に、本当にどうも ありがとうございました。

社会人となった今、先生に心の底から感謝しています。


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