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大魔王帝国(小学4年生 冬から入塾)渋谷教育学園渋谷中学、東京学芸大世田谷中学、他 合格

4年生の12月に「中学受験をする」と決めた私は、最初の塾を「茶理庵」と決めました。

人見知りが強めだった私は、茶理庵での初めての授業で、

3、4年生から通塾している子たちと馴染めるのか心配でしたが、

​チャーリーとテツがフレンドリーに話しかけてくれて、すぐに茶理庵が大好きになりました。

チャーリーとテツの授業がすご~く楽しくて、

茶理庵に通うことが、私にとって「一つの楽しみ」なっていきました。

しかし、“楽しいだけじゃ受験を乗り切れない”ことを、初めて実感したのは、

第一志望校の算数の過去問を解いた時でした。

​算数は得意科目だったのに、とても難しく感じられ、わずか26点しかとれませんでした。

(ちょっとナメていたな…と思い、かなり反省しました。)

それからの夏期講習は、テツとチャーリーに質問しながら、頑張るギヤを上げました。

でも、長くは続かず、9月に入り、少し成績が上がり始めると、

「ちょっとくらいサボっても、大丈夫なんじゃね?」と、だらけ始めました。

成績というものは、とっても正直者」で、

10月の合不合判定模試で第一志望校の合格可能性が10%に落ちてしまい、

かなりの絶望を感じました。

それからも、成績は上昇・下降をくり返し、気がつけば冬12月になっていました。

残り50日を切り、やっと「超本気」にならなければならないと気がつきました。

チャーリーから、苦手な単元の理科と社会の課題を出してもらい、

とにかく、数多くこなすことに専念していました。

そんな時、チャーリーに、「多くこなせば、イイってもんじゃない」と言われ、

気持ちだけが興奮して、

勉強をテキトーな流れ作業にしてしまっている自分に気がつきました。

いざ、2月1日。

私は、渋谷教育学園渋谷を受験しました。

結果が不明なまま、午後に広尾学園を、2日には、渋渋の2回目を受験しました。

2月2日の受験では、チャーリーからの助言を思い出し、着席して掌に“5”を書きました。

​試験会場から出てきた私を待ち受けていたのは、渋谷教育学園渋谷の1回目の不合格でした。

午後は、茶理庵の教室に行って、次の受験に向けて勉強することになりました。

勉強しながら、ふと「今日、合格した人たち」のことを想像すると、

チャーリーが12月に「合格と不合格とは、別世界だ」と話していたのを思い出し、

心の底から、実感しました。

この席で、つい 一昨日まで肩を並べて笑い合っていた仲間たちとの、

合格と不合格との間にできた大きな壁を感じ、

受験生活の中で、一番悲しくてつらい瞬間でした。

しかし、いくら悔やんでいても、

今の私には、死にもの狂いで勉強する以外にすることはない、と思い直し、

とにかく、とにかく、必死に取り組みました。

2月3日の東京学芸大学附属の受験は、

必勝を期す」や「(茶理庵神社の)お守り」に書かれていたことを思い出して、

とにかく「ていねいに」受けることに集中しました。

受験が終わり、出てきた時、母から伝え聞いたのは、

あきらめかけていた第一志望校、渋谷教育学園渋谷中学の第2回試験の合格でした。

嬉しさと喜びが身体の奥底から、止めどなく湧きあがってきて、

世界が明るく見えました。

楽しくてたまらなかった茶理庵生活を作り上げてくれたチャーリーとテツに、

合格を伝えることができて、本当にうれしかったです。

茶理庵生活が終わってしまうのは さみしいの一言ですが、

「行きたかった中学校」で、精いっぱい楽しみたいと思っています。

2年間を支えてくれた茶理庵に感謝!

そして…これからも遊びに行きます^^

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